LA STORIA

イタリア栄華の時代、アウグスト工房のはじまり

1950年代、イタリアは「20世紀ルネサンス」とも言うべき熱気に包まれていました。
第二次世界大戦で荒廃しきった暗黒の日々が終わり、イタリア人達はその情熱と創造力によって繁栄を取り戻したのです。若者たちは甘い生活を求め、女性たちは独立の兆しを間近に感じ、起業家たちは野心に燃えていました。
アウグストの創始者であり、現在のオーナー兄弟の父に当たるマルチェッロが妻と一緒にローマ郊外のアパルトマンに小さな鞄工房を開いたのは、そんな1950年代の終盤でした。

フェデリコ・フェリーニ監督の映画『甘い生活』が公開された1960年代。今なお憧憬と共に思い出されるこの10年間は、イタリアが栄華を極めた時代でした。

その中心地であったローマでは、三揃いの注文服を着た紳士たちが、美しいレザーバッグを求めていました。当時は女性向けの美しいバッグはあれど、エレガントなメンズバッグの名店は殆ど存在していなかったのです。
マルチェッロの工房は瞬く間に評判になり、その顧客リストには数々の名士たちや貴族たちが名を連ねるようになりました。

F.LLI MAESTRI

二人の後継者と、名作の誕生

美しい時代がいつまでも続くとは限りません。1980年代以降、イタリアに生まれて世界中を魅了したビッグメゾンやラグジュアリーブランド達も、時代と需要の変化に応じ、コストダウンの波に飲まれていきました。安価な中国製品が台頭し、イタリア製を謳う商品の中にもクオリティの低い物が急増しました。

アウグストの工房では熟練の職人達が、頑なに最高品質の紳士鞄を作り続けていました。しかしクラシックな紳士鞄は時代の変容に取り残されつつあったのです。

工房は変革を必要としていました。ちょうどその頃、マルチェッロの二人の息子であるマウロとアンドレアが工房に入りました。ローマ郊外の工房の中でレザーの香りと感触を幼い頃から体感してきた彼らは、アウグスト工房の完璧な後継者でした。
イタリアの変化を肌で感じながらローマで育った二人は、アウグストの工房に新しい風を吹き込んだのです。

彼らは無限の創造力と情熱で次々と新しいモデルを生み出していきました。その中にはアウグストの名作であるNAVONA ナヴォナやCONDOTTI コンドッティの原型となるモデルも含まれていました。

LA BOTTEGA ETERNA

文化を継承する工房

現在はマウロとアンドレアがオーナーとなり、マルチェッロを知る熟練した数人の職人達と共に毎日限られた生産量でバッグを製作しています。
またブランドは彼らの姉妹を含む親族達のサポートによって運営されており、イタリアの典型的な家族経営で安定したクオリティを維持しています。

永遠の都ローマに生まれたアウグストは、この街の貴重な文化を継承し続けています。
創業から半世紀以上経った現在でも、その様子はマルチェッロが高い志を持って工房をひらいた50年代と何ら変わりありません。レザーの香りが漂う静かな工房の中、ローマ生まれの職人達がアウグストのバッグを製作しているのです。

PHILOSPHIA

アウグストの哲学

Bella come le sculture ed eterno come Roma.
「彫刻のように美しく、ローマのように永く」

アウグストのバッグを表す言葉として、これほど適切なものはないでしょう。
まるでジャン・ロレンツォ・ベルニーニの彫刻のように大胆で力強く、そして美しいアウグストのバッグは、同時にローマそのもののように不変的です。そして永く使うことのできる耐久性を兼ね備えています。

Ho trovato una città di mattoni, ve la restituisco di marmo.
「私はローマを煉瓦の町として引き継ぎ、大理石の都として残す」

(初代ローマ皇帝アウグストゥスの言葉)

LA STORIA

イタリア栄華の時代、アウグスト工房のはじまり

1950年代、イタリアは「20世紀ルネサンス」とも言うべき熱気に包まれていました。
第二次世界大戦で荒廃しきった暗黒の日々が終わり、イタリア人達はその情熱と創造力によって繁栄を取り戻したのです。若者たちは甘い生活を求め、女性たちは独立の兆しを間近に感じ、起業家たちは野心に燃えていました。
アウグストの創始者であり、現在のオーナー兄弟の父に当たるマルチェッロが妻と一緒にローマ郊外のアパルトマンに小さな鞄工房を開いたのは、そんな1950年代の終盤でした。

フェデリコ・フェリーニ監督の映画『甘い生活』が公開された1960年代。今なお憧憬と共に思い出されるこの10年間は、イタリアが栄華を極めた時代でした。

その中心地であったローマでは、三揃いの注文服を着た紳士たちが、美しいレザーバッグを求めていました。当時は女性向けの美しいバッグはあれど、エレガントなメンズバッグの名店は殆ど存在していなかったのです。
マルチェッロの工房は瞬く間に評判になり、その顧客リストには数々の名士たちや貴族たちが名を連ねるようになりました。

F.LLI MAESTRI

二人の後継者と、名作の誕生

美しい時代がいつまでも続くとは限りません。イタリアに生まれて世界中を魅了したビッグメゾンやラグジュアリーブランド達も、時代と需要の変化に応じ、コストダウンの波に飲まれていきました。安価な中国製品が台頭し、イタリア製を謳う商品の中にもクオリティの低い物が急増しました。

アウグストの工房では熟練の職人達が、頑なに最高品質の紳士鞄を作り続けていました。しかしクラシックな紳士鞄は時代の変容に取り残されつつあったのです。工房は変革を必要としていました。

ちょうどその頃、マルチェッロの二人の息子であるマウロとアンドレアが工房に入りました。ローマ郊外の工房の中でレザーの香りと感触を幼い頃から体感してきた彼らは、アウグスト工房の完璧な後継者でした。
イタリアの変化を肌で感じながらローマで育った二人は、アウグストの工房に新しい風を吹き込んだのです。

彼らは無限の創造力と情熱で次々と新しいモデルを生み出していきました。その中にはアウグストの名作CONDOTTI コンドッティの原型となるモデルも含まれていました。

LA BOTTEGA ETERNA

文化を継承する工房

現在は彼らがオーナーとなり、マルチェッロを知る熟練した数人の職人達と共に毎日限られた生産量でバッグを製作しています。
永遠の都ローマに生まれたアウグストは、この街の貴重な文化を継承し続けています。
創業から半世紀以上経った現在でも、その様子はマルチェッロが高い志を持って工房をひらいた50年代と何ら変わりありません。レザーの香りが漂う静かな工房の中、ローマ生まれの職人達がアウグストのバッグを製作しているのです。

PHILOSPHIA

アウグストの哲学

Bella come le sculture ed eterno come Roma.
「彫刻のように美しく、ローマのように永く」

アウグストのバッグを表す言葉として、これほど適切なものはないでしょう。
まるでジャン・ロレンツォ・ベルニーニの彫刻のように大胆で力強く、そして美しいアウグストのバッグは、同時にローマそのもののように不変的です。そして永く使うことのできる耐久性を兼ね備えています。

Ho trovato una città di mattoni, ve la restituisco di marmo.
「私はローマを煉瓦の町として引き継ぎ、大理石の都として残す」

(初代ローマ皇帝アウグストゥスの言葉)

AUGUSTO ICONS

アウグストを代表するモデル